バイク
バイクについて
ホンダCB750K0との出会い
私のバイクへの興味は、早いもので、小学校のころからありました。
近所のお兄さんが、当時、発売された、名車ホンダCB750K0キャンディールビーレッドを持っていました。そして、もう一人のお兄さんも、同じくCB 750K1を乗っていました。
私は、当時、小学校3年生の頃でしたけど、後ろに、乗せてもらい、近くの国道を、ぶっ飛ばしたのを鮮明に覚えています。
あの頃は、勿論、ヘルメットをかぶらなくても、なんのお咎めもない時代でしたので、80KM/hも出すと、もう、涙ボロボロでした。
でも、あの頃思ったのは、こんなでかいバイクをよく乗れるな〜っていうある面、尊敬の眼差しでした。
Z2ことkawasaki 750 RSとの出会い
中学校の頃、4歳年上のいとこの家に行ったときです。
大型バイクの排気音が、してきました。
いとこは、友人が来たと思い、すぐに、二階から下を見ていました。
でも、それは、いとこの同級生が、持っていたバイクではなくて、近所の別の兄ちゃんが、持っていたHONDA CB 350 Fourでした。
この時代みんな16歳になったら、大型バイクを乗るのが、結構当時のステータスになっていたようです。
町の方に行っても、道の片隅のいたるところに、現在なら、マニアが、涙を流して喜ぶような、名車が、沢山ありました。
HONDA CB 750K 、SUZUKI GT750 、KAWASAKI 500SS(マッハ?)、ヤマハTX、そして、憧れのKAWASAKI 750 RS (Z2)などなど......
そして、ある日、いとこの家族と車で、出かけているとき、いとこが、(当時高校生) あ、○○や!って、車で、叫んだんです。
それは、いとこの大の親友である。Y.Mさんでした。
Y.Mさんは、なんと、Z2のタイガーカラーに、乗っていました。
ヒュルヒュル..とZ2独特のサウンドでした。
Y.Mさんが、乗っている姿もカッコいいし、それに、なんといっても、あのZ2のカッコいいこと!
スタイルGood! サウンドGood! 全てが、完璧でした。
そして、いとこの兄ちゃん達が、バイクに乗っているのを見て、よ〜し私も、16歳になったら、絶対に、免許を取りたいと思ったものでした。
そして、買うなら、絶対に、KAWASAKI Z750 RS と決めていたのでした。
免許制度の改定
時も過ぎ、私も16歳の高校生になりました。
本来なら、自動二輪の免許を取って、大型バイクを乗る予定だったんですけど....泣
なんと、私が、中学3年生の頃、自動二輪に中型免許制度が、出来てしまいました。
その頃、全国的に、暴走族が、流行っていて、若者の事故が多発していました。
そんなんですから、当時の政府は、免許制度の改定をしたのです。
なので、大型免許は、自動車学校では、取得できなくなり、もし、とりたいなら、直接、免許センターまでいって、一発試験に、臨まないといけないような状態になりました。
まず、初めに、事前審査、そして、センターにある大型二輪(GT 750の廃車)を押して8の字、転倒車引き起こし、センタースタンドを立てる検査等々の検査があり、それをクリアーして初めて、本試験に望む権利が与えられるというものでした。 しかも、初めてのコースで.....
こんなんですから、合格者の平均受験回数は、25回くらい..
しかも、中型二輪では、上手に乗っている人でさえも、とることの出来ない夢の免許でした。
今の、教習所で、とれる人たちには、解らない苦労でした。
私達の時代、試験が合格して、中型免許の裏に、限定解除 っていう公安委員会のスタンプが、ポンと押してある免許を持っている人は、みんなのヒーローでした。
なので、ほとんどの者が、諦めて、中型二輪に、したのでした。
私も、中型二輪を取得しまして、CB 250 TWINを中古で買いました。 なので、学生時代は、このCB 250 Tが、私の愛車でした。
時は過ぎ...
高校も、卒業して、仕事に就きました。
友人達の興味は、バイクより、車の時代に変わっていました。
当時は、ケンメリのスカイライン、ハコスカ、セリカ、カリーナ、レビン、117クーペ、スカイライン ジャパンが、結構、流行っていました。
でも、そんな中、私のバイクの熱は、いっこうに冷めず、当時、大人気だったカワサキのZ400FXを ミッドナイトブルーを買いました。
そして、しばらくZ400FXを乗った後、やはり、夢だった750を乗りたいという気持ちが、ふつふつと湧いてきだしたのです。
写真は、同型のタイガーカラーです。 私のは、ミッドナイトブルーに青と赤のラインの入ったFX400でした。 綺麗に乗っていましたけど、750を買うために手放しました。 20万で、売却しました。 いまでは、その何倍もの価格がついています。
大型二輪免許取得 ついに来た、その日
20歳を過ぎた頃、ついに、大型免許に、挑戦のときが、やってきました。
当時は、免許センターでの大型自動二輪の試験は、毎週水曜日だったと記憶していますけど、週に、一度だけ実施していました。
一度目の試験は、事前に、A.B.Cのコースを歩いて覚えて、そして、コースに臨みました。
あまりの緊張のせいもあって、少し線を踏んでしまい、はい。○号車、帰って来なさい。とマイクで呼ばれ、終了!
二回目以降からは、きちんとコースも、覚えて、そして法定どうり乗っているにも関わらず、座り位置が悪い、確認が不十分とか何だかんだと言われて、完走はしていたものの合格点には届かずに、不合格でした。
その間の合格者といえば、1回目の時、23人受験して、合格者1人(23回目の合格らしい)2回目の時、17人受験して、合格者0人 3回目の時、20人受験して、合格者0人 4回目の時、25人受験して、合格者3人(20回以上の合格らしい) こんな具合でした。
本当に、合格さしてくれる気が、ここの教官達には、あるんだろうか?って思っていた頃、同じ受験している仲間が、この免許は、別に取らなくても、仕事には、関係ない免許だから...とか言って、だから、ちょっとやそっとでは、合格させない。
教習所は、どうにかして、免許を取らせるようにしてくれる所。 ここは、いかにして、落とすか。 取らせない様にする所!って、教官が、言っていたようなことを話してくれました。
特にその当時の高知は、全国的にも一番厳しかったらしい!
そして、受験6回目の時、いつものように、検定終了後、呼ばれて、「最後のあの部分がほんの少し不十分だった。本当に惜しかったね!」って言われました。
わざわざ、気をもたせる言い方したので、てっきりひょっとして合格?っておもったけど...(悔しい) そして、2回目以降ずっと完走している私ですけど、7回目も不合格!
そして、今回で8回目の受験になりました。この日は、もう、どうなってもえいわ!って、開き直って受けました。そして、無事に完走して、試験官から、今日も、「○○君は、あの場所での確認をもう少し、確実にするように」と言われました。
アー今日も、不合格か。 って思って聞いていたら、最後に、「しかしながら、合格点に達していますので、合格といたします。」と言われました。
えっ!と我が耳を 疑ったけど、隣の受験していた仲間が、おめでとう!って言ってくれて、我に返りました。
やった! ついに、合格したがやー! こじゃんとうれしい!って叫んでしまいました。
その日合格したのは、私を含め3人でした。20人以上も今回も受験したのに.... たったの3人!
これが、この当時の大型自動二輪免許の現実でした。
その後、免許センター内の部屋に招かれて、免許証の裏に、ポーンと、中型自動二輪の限定解除!のスタンプを押してくれました。
あとの2人共、私より年上でしたけど、やっぱりって言うか、当然、750を買うみたいに言っていました。
3人で、よかったな!って喜び合いました。
初めての事前審査から、3ヶ月あまり、季節は、夏前からもう、秋になろうとしていました。
そして、私は、夢にまで見た念願の大型自動二輪免許証を手にすることができたのでした。
やったね!
(備考)
その後、国からの規制も、だいぶ、緩くなり、法定規則をキチンと守り運転の上手な人は、数回でも合格できるような人も増えてきました。
私たちの頃からいうと、かなり、緩和されていったみたいでした。
でも、指定のコースでの一発試験のみというのは変わらず、教習所では、大型二輪免許の取得は、できませんでした。
しかし、ハーレーダビッドソンやBMWなどの海外のメーカーから「輸入バイクが売れないのは、日本の免許制度に原因がある」(=非関税障壁)と外圧がかかり、1996年9月の免許制度改正から「公認自動車教習所」で大型二輪免許の教習が受けられるようになった。(実際には認可までに時間がかかり、1997年教習開始)以前よりは容易に免許が取得できるようになってからは、今までは400までのバイクに人気が集まっていたが、750や750オーバーのバイクとしてのカテゴリーの人気が高まった。
もう少し、詳しく知りたい方は
大型自動二輪車 をクイックしてください。
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