F1グランプリ
F1グランプリについて
N.マンセル
FIグランプリとは
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車やバイクが、好きだった子供時代
私は、小さい時から、車やバイクが、大好きでした。
小学校の高学年の時からは、珍しい外車や国内のスポーツカー(フェアレディZ等)見るだけで、心がときめいたのを覚えています。
そして、中学生の頃からは、家族で、車で出かけたときなどに、ポルシェや、ムスタングなどの外車、そして国内のスポーツカー、フェアレディZ、特にGノーズのついたフェアレディ240ZGなどを見かけたら、カメラに撮っていました。
それくらい、車も好きでした。
当時は、レーシングカーよりも、市販車のスポーツカーに興味を持っていました。
これも、当時、スーパーカーブームの火付け役となったサーキットの狼の影響も大いにあると思います。
フェラーリ、ランボルギーニ、とか言って騒いでる時も過ぎまして、そのうちに、そのような車の原点にもなった、レースにも、だんだん興味を持ってきだしました。
F1グランプリへの興味
そして、私が、F1に、興味を持ったのは、高校一年の頃でした。丁度その頃、ジャッキースチュアートが、出ていた映画(F1グランプリ 栄光の男たち)だったと思いますけど、その映画を見て、F1の魅力に、一発で魅了されてしまいました。
日本のF1の歴史は、1976年に、富士スピードウェイで、第一回日本グランプリが、開催されました。
予選では、かの伝説のレーサー フェラーリのジル.ビルヌーブが(ジャック.ビルヌーブの父親です。)大クラッシュを起こして、観客を巻き込んでの大惨事になりました。
地方新聞にも、でかでかと掲載されました。
レースは、最後の最後で、ニキ.ラウダを僅差のポイントでかわしたジェームス.ハントが、タイトルをとって初のワールドチャンピオンに輝いた年になったと記憶しています。
その次の年の1977年も、日本で開催されましたが、これを最後に、1987年まで、日本では、F1が、開催される事はありませんでした。
アイルトン セナとの出会い
セナは、僕にとって、再度、F1に引きつけてくれた存在でした。
とにかく速かった。 雨でも早かった。 戦闘力のないマシンでも、ねじ伏せてでも、速かった。 F1で、勝つことを常に考えていたと思います。
それでいて、レース以外でも、とても、ファンサービスをしてくれたと思います。 特に、日本のファンの事をとても大切にしてくれました。
彼が、いたからこそ、F1を見る様になった。っていう人も多いはず! 本当に、好きなドライバーでした。
写真は、私が、1991年と1993年に鈴鹿サーキットの第一コーナーとシケイン手前で、撮影したものです。
セナ(1993年鈴鹿サーキットの第一コーナー)
この日本グランプリでは、セナは、雨のレースを勝利しました。事実上、これが、私の見たセナの最後の姿になってしまいました。
翌年、1994年5月ウイリアムズに、移籍したセナは、イタリアのイモラサーキットにて、レース中の事故で、多くのファンの見守る中、彼は、旅立ってしまいました。まだ、34歳になったばかりでした。
プロスト(1993年鈴鹿サーキットの第一コーナー)
(A.プロスト)1993年日本グランプリ 鈴鹿.第一コーナーにて筆者撮影
ニコンF4で流し撮り ネガフィルム
第一コーナー手前で、300kmからのブレーキング! そのすさまじさから、ディスクブレーキのローターが、焼けている一瞬を流し撮りで、バッチリと捉えたベストショットです。
セナ (1991年鈴鹿サーキットのシケイン手前.予選2日目)
1991年予選二日目のアタックで、見事ポールポジションを獲得!
この年は、セナ3回目のワールドチャンピオンに、輝きました。
1988年、1990年、そして1991年セナのワールドタイトルは、全てこの日本の鈴鹿サーキット(本田のお膝元)で、決まっています。 これほど、ホンダF1が、似合うレーサーは、後にも、先にも、出てこないと私は思います。
プロスト(1993年鈴鹿サーキットの第一コーナー)
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